也寸志は、終戦から15年が経った昭和35年9月生まれ。お菓子の卸業を営む、大村家の三男として生まれた。上の2人は、5歳上の政勝と、3歳上の邦彦も男で、今度こそ女の子をと期待していたらしいのだが、三番目の子供も残念ながら男の子だった。
ちょうど也寸志の母・イクエが産気付いたのが、地元の小学校の秋の運動会の日。お弁当などの準備で忙しくしていたのか、産婆さんがくるのが遅れたために、父の姉で長女のカスミおばさんが取り上げてくれた。取り出すと同時に大きな声で「オギャーオギャー」と、鳴き出すほどの元気な赤ちゃんで、髪の毛もフサフサ、体重も3800グラムと大きく、まさしく健康優良児そのものの赤ちゃんだったという。
長崎市内から100キロ以上も離れた島原半島の一番南に位置する加津佐町は、諫早市から国道135号線を車で走ってくると、天草灘に面した標高100メートル余りの岩戸山が迎えてくれる。主な産業は農業と漁業で、特にジャガイモの産地として有名。原爆や戦争での目立った被害はなかったもの、戦争で男手が奪われた生活で農作物も細く、女と子供中心の生活で貧しい生活が続いていた。
也寸志の父・邦春は、20歳で赤紙が届き、5年もの間戦地を転々とし、終戦を満州で迎えたという。戦後も満州で捕虜として囚われの身だったために帰国が遅れ、加津佐町に戻っても就職が思うようにいかず、細々と始めたお菓子の卸業で一家の生活を支えていた。
卸業がやっと波に乗り始めた頃に、得意先の北有馬町に仕事でお菓子を卸しに行った時に、そこの店主から紹介されたのが、イクエだった。その時に一目惚れした邦春は、それから北有馬町に行く度にイクエに会いに行ったという。初めて会ってから半年、邦春・28歳、イクエ・21歳の時に結婚。家族と親戚が集まり、細やかな祝宴をあげたという。結婚した邦春は、大村家の長男として、先祖代々続く大村家の家を引き継ぐことになる。
大村家は、代々造り酒屋を営み、この辺りでは殆どの土地を占領し、裕福な生活をしていたという。しかし、横暴な商売のやり方と、無謀な土地の売買などが祟ったのか、祖父のまた一代前の家主が不明な難病に悩まされ、多額な医療費を費やし、殆どの土地を売却、今では実家のある土地ぐらいしか残っていなかった。家業の造り酒屋は、邦春の父・辰十郎がお酒が嫌いだったためにいとも簡単に廃業し、その時代になると野田名で唯一の雑貨屋を営んでいた。
也寸志のお爺さんにあたる辰十郎は、もう也寸志が生まれた時にはこの世にはいなかった。お婆ちゃんのシズヨは健在で、明治時代を生きて来た強い女性を感じさせる印象の背中が曲がりシワの多いお婆ちゃんだった。
邦春は、3歳離れた弟の硬、5歳離れた賢、8歳離れた昭治と4人の男の兄弟に加え、2歳上の長女・カスミ、6歳離れた次女のミスミ、当時ではきわめて普通の男女合わせての6人兄妹だった。
長男の邦春は、「大村邦商店」という屋号を使いお菓子の卸業で実家を継ぎ、次男の硬は、町の役場に就職、やがて、三男の賢と四男の昭二は、当時この辺りでは急速に増え始めた長崎造船所の船員さんとして海外船で働き始めることになった。長女のカスミは、船員で海外船のタンカーに乗る吉田熊男と結婚して、実家の一軒下隣の家に住居を構えた。次女のミスミも、やはり船員の末岡秋吉と結婚して、歩いて15分くらいの東串という部落の見晴らしのいい高台に住まいを構えていた。
加津佐町野田名上里部落の真ん中にある消防倉庫の前には、いつも子供達が集まり、楽しそうな声が木霊していた。野田小学校までは子供の足で歩いて7分ぐらいの距離だが、このあたりの子供達にとっては一番の遊び場だったのだ。
夏休みにもなると、朝早くからこの場所に子供達が集まってくる。ラジオ体操をこの場所で行っていたのだ。消防倉庫のすぐ横に立つ、20メートルほどの高さのある火の見櫓の上に取り付けてある拡声器から、今も昔も変わらないラジオ体操の音楽が流れて出すのが夏休みの也寸志の起床の合図。その拡声器からラジオの音を流すのは、母・イクエの朝の仕事のひとつだった。5時過ぎに起きて、お店の前を掃き掃除して、お店の品々の陳列を綺麗に並べ直し、はたきで埃を飛ばし、それから時間を見計らってラジオのスイッチを入れる。
消防倉庫の目の前で雑貨店を営む大村家は、上里部落の生活の中心。まだ電話が一軒一軒の民家になかった時代には、大村邦商店の電話にかかって来て、「◯◯さん電話ですよ」と、マイクを使いイクエが拡声器で呼び出していたものだった。
イクエは、夏休みの間は、自分の子供たちが起床する姿を頭で描きながら、今日も1日幸せでありますようにと願い、店の中にあるラジオのスイッチをいれていたという。
ラジオ体操の始まりの威勢のいい音楽が也寸志の起床の合図。耳を劈くようなうるさい音が響いてくるとのそろりと起きだして、洗面所へ行きザブザブと顔おを洗い、眠たい目を擦りながらそのままの姿で家の前にある消防倉庫前に向かう。決まった挨拶はなにもなしに、ラジオ体操の群れに加わり、何もなかったかのようにみんなと一緒に動きの悪い体を動かしていく。周りを見渡すと、いつの間に来ていたのか、政勝にいちゃんも、邦彦にいちゃんもちゃんも近くで体を動かしていた。
「也寸志、ちゃんと顔ばあらわんやったと?口の横によだれがついとっとじゃなかと」と、邦彦が声を掛ける。「うそー、ちゃんと洗って来たとばってんねー」と、口の横に付いた白く乾いたよだれを手で撫でながら答える。もう、ラジオ体操は第二に入っていた頃だった。
火の見櫓の前あたりを見渡すと、毎年夏休みになると兵庫から親戚の家にやってくる加奈子ちゃんと弟の貢くんが隣同志でがみんなと同じように体を動かしていた。ちょっと麻黒い肌にコットン素材で黄色の薄い色のワンピースが輝いて見えた。真っ黒で長めの髪の毛は、後ろで綺麗に束ねている。束ねたところには黄色のボンボンがラジオ体操に合わせて飛び跳ねていた。見るからに、地元の女の子ととは明らかに違って見えた。いつもは8月になってから来るのに、今年はいつもより来るのが早く感じた。体に汗を少し感じはじめた。朝からジリジリと照らす太陽、まだ長い夏休みが始まったばかりなのだ。
ラジオ体操が終わると、みんな火の見櫓の下を目指す、部落の上級生からハンコを貰うために集まり出すのだ。
いち早く声を掛ける也寸志、「久しぶり!加奈子ちゃん、もう来とったと?今年は少し早くない?」。
「お父さんが仕事で出張やけん、今年は早く来たの」。「也寸志くん、少しは身長伸びた?」。作り笑顔だけで答える也寸志。也寸志は、小学校3年というのに120センチをやっと過ぎたくらいの小さな男の子。クラスでもいつも小さい方から数えて1番前か2番目だった。特にそれを嫌だとは感じず、むしろそのことを善かれて思うような性格だった。加奈子は也寸志よりひとつ年下にもかかわらず、すらりとしたスタイルのいい女の子。身長も高く、いつも也寸志は彼女と会話をするときには、軽く顎を上げて見上げるように話していた。田舎の女の子とはスタイルも匂いも違う、洗練された都会的な雰囲気の加奈子にずっと好意を抱いていた。夏休みの間のほんの一週間だけのアバンチュール。也寸志は、毎年加奈子がここにやってくるのをまだかまだかと密かに楽しみにしていたのだ。
その会話をそばで見ていた幼馴染の孝美が声を掛ける。「ここは野田やけん、野田弁で話さなきゃダメとよー」。孝美は、也寸志の家から4軒上に住む同級生で小さい頃から一緒に遊んでいた幼馴染。髪の毛が天然パーマで、足が早く、運動会になると大活躍するいつも元気で学校では人気者の女の子だった。小さい頃から也寸志のことが好きで、それを也寸志もかすかに知っていた。
「そげんいうたって、加奈子ちゃんはまだ来たばかりやし、まだ慣れとらんとよ」。
加奈子は二人の会話を笑いながら見ている。今度は、やっぱり幼馴染で遠い親戚の育美ちゃんが話を挟んできた。育美ちゃんは、也寸志の家から3軒上の家に住む同級生で、可愛くて目のクリッとした少し体の弱い女の子。小さいときに心臓の手術をして奇跡的に命を取り留め、今では普通の子供たちと同じような生活を送ることが出来ていた。
「也寸志くんは、加奈子ちゃんのこと好いとっとじゃなかと?」。「そげんこちゃなかよ、育美ちゃん朝からなんば言いよっとね」。也寸志は顔を赤らめながら、これだけ答えるのがやっと。いっこちゃんは、クリッとした目を細めながら笑って也寸志を見ていた。
その少し向こうでは、親戚でひとつ年下の聡くんが、昨日のテレビ番組「コメットさん」の話で会話が弾んでいた。聡くんは、小さい時からちょっと中性的な男の子。どちらかというと、男の子が好きな怪獣ものより、女性的なものが好きだった。先週からカラー放送になったようで、コメットさんが着ている衣装のことで盛り上がっていた。「やっぱり赤色のワンピースじゃったろ」。「うちのコメットさんは黒のワンピースだったよー。聡くんちはカラーテレビなんだ?来週は聡くんちで見たかねー」と、ひとつ年下で聡くんと同級生の康英くんが、よだれを垂らしそうな口元で羨ましそうな顔で話をしている。
終戦から20年以上が過ぎ、日本は高度成長期に入り、テレビや冷蔵庫・洗濯機・電気炊飯器などがあるのは当たり前、そしてモノクロしか映らなかったテレビが、カラー放送に変わって来た。車を所有する家庭も少しずつ増え始め、時代は足早に子供達を巻き込みながら昭和を駆け抜けて行こうとしていた。
つづく
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