2019.06.21 05:50忘れえぬ夏(4)加津佐町は綺麗な海水浴場で有名な町だ。真っ白な砂浜が広がり、浅瀬の海が海水浴に来る観光客を飽きさせなかった。松林が生い茂りキャンプ場も隣接する野田浜海水浴場と、島原鉄道の終点の加津佐駅から徒歩で行ける前浜海水浴場と二つの人気の海水浴場がある。釣りファンにも人気があり、岩場で釣り糸を垂らして釣るも良し、または本格的に釣りを楽しみたいならば、地元の釣り船に乗船してアジやメバルなどの魚が手軽に釣れることが出来るのだ。夏休みともなると、長崎県内の近郊からだけではなく、他県からも多くの観光客が訪れる夏には欠かせない人気スポットだった。 小さい頃から海の近くで育った也寸志も海が大好きだった。也寸志が住む上里部落は、小学生の子供たちを集めて、婦人会の代表が順番で海水...
2019.06.19 21:24忘れえぬ夏(3)ラジオ体操が終わり、自宅に帰りしばらくすると朝食の時間だ。朝食を用意するのは、70歳を過ぎたシズヨ。邦春の母にあたる也寸志のお婆ちゃんだ。食卓には野菜を中心とした煮物や、干し大根、豆腐、それに煮干しで作ったお味噌汁に白いごはん。おかずの殆どが裏の畑で採れたものばかり。そんな野菜中心の朝食を、也寸志ははあまり好きではなかった。そのせいもあって食はなかなか進まない。するとお婆ちゃんが「早よ食べんね!ちゃんと食べんから太られんとよ」と、いつも決まってお婆ちゃんから怒られるのは也寸志の役目だった。 そんな食卓を囲むのは、お婆ちゃんと母のイクエ、政勝にいちゃんと邦彦にいちゃん、それに也寸志と5歳下の光久の6人だった。この席にいるはずの一家の大黒柱・邦春の姿はなか...
2019.06.18 17:16忘れえぬ夏(2) 也寸志は、終戦から15年が経った昭和35年9月生まれ。お菓子の卸業を営む、大村家の三男として生まれた。上の2人は、5歳上の政勝と、3歳上の邦彦も男で、今度こそ女の子をと期待していたらしいのだが、三番目の子供も残念ながら男の子だった。 ちょうど也寸志の母・イクエが産気付いたのが、地元の小学校の秋の運動会の日。お弁当などの準備で忙しくしていたのか、産婆さんがくるのが遅れたために、父の姉で長女のカスミおばさんが取り上げてくれた。取り出すと同時に大きな声で「オギャーオギャー」と、鳴き出すほどの元気な赤ちゃんで、髪の毛もフサフサ、体重も3800グラムと大きく、まさしく健康優良児そのものの赤ちゃんだったという。 長崎市内から100キロ以上も離れた島原半島の一番南...
2019.06.16 01:00忘れえぬ夏(1) 熱い日差しが照りつける日が続く、2015年の夏。一ヶ月近く続いたジメジメした嫌な梅雨がやっと終わったと思ったのもつかの間のこと。梅雨明け宣言が発表されたその日の午後から気温は急上昇。30度、いやいや35度をを超える猛暑が続いている。 そんな猛暑が続いている東京のテレビでは、もっぱら熱中症予防を呼びかける内容の放送とともに、あと5年先に控えている東京オリンピックの新国立競技場問題が激しく協議されていた。集団自衛権の行使も含め、共通することはどちらも”熱い”ということ。この日本独特のジメジメした居心地の悪い陽気を一層熱くさせているのは、何を隠そう久しぶりの長期政権で日本の未来の舵取りを任せられた安倍政権だということを、国民の誰もが気づき始めたころだった。...