忘れえぬ夏(4)

加津佐町は綺麗な海水浴場で有名な町だ。真っ白な砂浜が広がり、浅瀬の海が海水浴に来る観光客を飽きさせなかった。松林が生い茂りキャンプ場も隣接する野田浜海水浴場と、島原鉄道の終点の加津佐駅から徒歩で行ける前浜海水浴場と二つの人気の海水浴場がある。釣りファンにも人気があり、岩場で釣り糸を垂らして釣るも良し、または本格的に釣りを楽しみたいならば、地元の釣り船に乗船してアジやメバルなどの魚が手軽に釣れることが出来るのだ。夏休みともなると、長崎県内の近郊からだけではなく、他県からも多くの観光客が訪れる夏には欠かせない人気スポットだった。

 小さい頃から海の近くで育った也寸志も海が大好きだった。也寸志が住む上里部落は、小学生の子供たちを集めて、婦人会の代表が順番で海水浴に連れて行ってくれる。集合場所と時間は、消防倉庫前に13時。


 也寸志は、店番を手伝っていた。12時30分を過ぎたあたりで、海水浴の格好をした幸吉くんと司くん兄弟がやって来た。店に入って直ぐ右側にある、アイスボックスの中を、つま先を立てて覗き込んでいる。どうやら、アイスクリームを食べたいらしい。幸吉くんと司くんはひとつ違いで、也寸志の家からすぐ下に住んでいるとても仲がいい兄弟だ。いつもお父さんがバリカンで刈る坊主頭がこの兄弟の目印だった。外は、今日も日差しが照りつけ、30度を超えるような暑さ。こんな日はアイスクリームがよく売れた。二人が持って来たのは、棒状のアイスクリームで、細長いビニールの筒に入ったジュースを凍らせたもの。

「也寸志くん、はいこれ」お兄さんの幸吉くんが手に大事に握りしめていた10円玉二つを差し出した。

「ありがとう」と、差し出した10円玉二つを受け取った。

受け取った10円玉はものすごく熱かった。よほど大事に強く握りしめてここまで来たのだろう。

 家の奥から、イクエが顔を出し「也寸志、そろそろ支度ばせんね。時間じゃなかと」と声を掛ける。也寸志は足早にイクエのいる方へ行き、さっきの10円玉二つを「はいこれ!幸吉くんがアイスクリームを買ったお金」と渡して、履いていた靴を脱いで奥の部屋へと向かった。着ていた半ズボンとパンツを一緒に脱いで、青い色の海水パンツに着替えた。そして、その上からさっき脱いだ半ズボンとパンツを分けて、半ズボンだけをまた履いた。それから、脱衣所においてあった小さめのバスタオルと海水メガネをビニールの袋に詰め込んだ。玄関でビニールの草履を持ち、また店の方へ戻った。持っていた草履を履いて、アイスボックスの前へ行き、さっき幸吉くん兄弟が買って行ったものと同じアイスクリームを取り出して右手で握りしめた。「お母さん行くけんね」と言うと、「気をつけんねよ」と笑顔のお母さんが返してくれた。店の外に出ると、熱風がすぐに体を包み込み、右手に持っていた冷たいアイスクリームが溶けるのを小さな手のひらで感じた。今日もやっぱり暑そうだ。 

 棒状のアイスクリームをチュルチュル吸いながら、消防倉庫前に行くと、すでに4人が到着していた。先ほどの、幸吉くんと司くんが、アイスクリームを食べ干して、チュルチュルとビニールしか残っていないのにまだ吸っている。隣には、麦わら帽子を被った聡くんと、オレンジ色のリボンの着いた可愛らしい麦わら帽子を被った育美ちゃんが赤らめた暑そうな顔をして立っていた。「よかねー、アイスクリーム。私も食べたかー」と、育美ちゃん。

「食べる?」と、自分の持っていたアイスクリームを差し出した。

「よかと?」。と言うのと同時に、育美ちゃんがボクの手からアイスクリームを取り上げた。

そのままアイスクリームの先を少し厚めの唇に持って行き、口の中でチュルチュルと吸い始めた。それを見ていた聡くんが「あっ、間接キッス!結婚せにゃいかんとよー」と言う。すると育美ちゃんは、「育美と也寸志くんは親戚やから結婚出来んとよ」と・・・。静寂とともに、まわりにいた誰もが目をクリクリさせて一瞬凍りついたような寒さを感じた。しかし、也寸志だけはさらに体温が上昇していた・・・。消防倉庫前の体感温度は45度をゆうに越えていた。


 しばらくすると、日傘をさしたシズエおばちゃんと、明子おばちゃんが一緒にゆったりとした坂道を下りて来ていた。二人とも、シャツの上から白い割烹着を着て下はモンペ風の長ズボンを履き、頭には日傘をさしながら布製の帽子と麦わら帽子をそれぞれ被っていた。足は長靴を履き、首にはタオルを巻いてて、日焼け防止のための完全重装備だ。首に巻いたタオルで汗を拭きながら「今日も暑かねー」とシズエおばちゃん。「こげん暑かと早く海に入りたかねーおばちゃん」と、育美ちゃん。

 シズエおばちゃんは、聡くんのお母さんで、明子おばちゃんは育美ちゃんのお母さんだ。二人とも、いつもは田舎のおばちゃんとは思えないほど綺麗な格好なのに、どうやらこの暑さには敵わなかったようだ。部落の婦人会の人たちが、いつも順番で海水浴の監視係をかって出るシステムになっていた。今日はこの二人が一緒に行ってくれるらしい。

 店の前に顔を出してみんなの様子を見ていた也寸志のお母さんに気づき、シズエおばちゃんと明子おばちゃんが足早に近寄り立ち話を始めた。どうやらお父さんの具合を心配してくれているようだ。二人とも目と目の間にシワをよせ、今にも泣きそうな顔をしていた。子供ながらに聞いちゃいけないと思い、その会話から目を外してふと火の見櫓を見上げた。すると、一匹の蝉が熱い火の見櫓につかまりながら、ミーン、ミーンと鳴いていた。目をゆっくりと閉じてひとつため息をつき目をまた開ける。何故だかいたはずの蝉は見えなくなった。しかし、鳴声だけはそのまま聞こえていた・・・。ミーン、ミーン・・・熱い夏はまだ始まったばかりだ。



つづく

とある人物のとある小説

テーマはいろいろ。未発表の小説をここで書き続けていきます! 興味のある方はご覧下さい! また、作家志望の方で、作品を掲載して欲しいという方もいらっしゃれば、ご相談の上掲載させていただきたいと思っています。

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